ジョアン・ミロ
ピカソをして「永遠の子供」と言わしめた、20世紀スペインアート界を代表する画家の一人。「絵画は詩だ」と言い、実際に多くの詩も残した。彫刻、陶器、版画なども幅広く制作したが、作品は依然として故郷カタロニアとの強い結びつきを保っていた。ミロの芸術は、独自の文化を持った故郷に深く根差しているが、単なる地方性にとどまらず、普遍的な価値を得ていることが特徴である。
ジョアン・ミロのデータ
- 性別
- 男性
- 出身地
- スペイン
- 誕生日
- 1893年(明治26年) 4月20日(木)
- 歿日
- 1983年(昭和58年) 12月25日(日)
- メイン・テーマ
- 抽象画
ジョアン・ミロの略歴
- 1893年(明治26年)
スペインのバルセロナで宝石類の細工や時計製造職人の家庭に生まれる。商業学校を卒業後、見習い会計士として就職も、病気に。長期の療養生活になる。その後、美術学校(私塾の画塾)で学ぶ
- 1918年(大正7年)
ダルマウ画廊で初めての個展
- 1919年(大正8年)
パリ旅行。初めて前衛美術にふれる。ピカソらに会う。細密描写時代。
- 1920年(大正9年)
渡仏。経済難で食事もままならず。唯一付き合いのあった友人を通して、ダダ運動の代表者でもあるトリスタン・ツァラ、マックス・ジャコブらに初めて会う。ダダ運動に参加
- 1921年(大正10年)
ラ・リコルヌ画廊での個展は失敗。絵は一枚も売れず。一時、モンロチに戻る。
- 1922年(大正11年)
初期の代表作『農園』を制作。写実的な絵画制作を行う最後の年となる
- 1923年(大正12年)
記号的な絵画の制作を始める。『耕地』制作。ボクシングを通じてヘミングウェイと知り合う
- 1924年(大正13年)
アンドレ・プルトンがシュルレアリスム運動を起こす
- 1925年(大正14年)
「シュルレアリスム革命」誌に、作品が掲載される。シュルレアリスムの絵画展に参加。ピエール・ローブ画廊で個展が成功
- 1926年(大正15年/昭和元年)
ロシア・パレエ団の「ロミオとジュリエット」の舞台装飾をマックス・エルンストと共同制作
- 1928年(昭和3年)
オランダ旅行。『オランダの室内Ⅰ』等を制作。古典となった巨匠の作品からインスピレーションを得た作品を数多く制作していく
- 1929年(昭和4年)
ピラール・ジュン・コーサと結婚。しかし、その後、しばらくの間、表現の危機に陥る。31年まで絵画を制作せず
- 1930年(昭和5年)
パリのピエール画廊、ブリュッセルのゴーマン画廊で個展。また初めてアメリカで個展開催(NYのヴァレンタイン画廊)
- 1931年(昭和6年)
ピエール画廊でオブジェ彫刻展
- 1932年(昭和7年)
ピエール・コル画廊でモンロチで描いた小さな油彩群を発表
- 1933年(昭和8年)
エッチングを初めて手掛ける。コラージュ的絵画を手掛ける。スペイン内戦前の不安も現れた暗く悪夢的な絵画を制作
- 1936年(昭和11年)
スペイン内戦が勃発し、フランスに亡命。パリへ。印象派美術館の「現代スペイン絵画」展に出品
- 1937年(昭和12年)
グランド・ショーミエールのデッサン教室に入室。生きたモデルに直面し、フォルムをとりもどす契機となる。アトリエを持たないため、ピエール画廊の中二階で制作も行う。パリ万博のスペイン共和国館のために『刈り入れ人』を制作
- 1939年(昭和14年)
ノルマンディ海岸べりの小さな村に転居
- 1940年(昭和15年)
代表作である『星座』シリーズの制作を始める。独自の造形言語が成立していく。ドイツ軍侵攻のため、スペイン・マヨルカ島に
- 1941年(昭和16年)
ニューヨーク近代美術館で初の大回顧展
- 1942年(昭和17年)
スペインのバルセロナに戻る
- 1945年(昭和20年)
NYのピエール・マティス画廊で個展
- 1947年(昭和22年)
初めてアメリカへ。シンシナティの高層ビル内レストランの大壁画を制作。マーグ画廊のシュルレアリスト展に出品
- 1948年(昭和23年)
パリのマーグ画廊で個展。
- 1950年(昭和25年)
木版画を初めて制作。翌年にかけてハーバート大学以来の大壁画制作
- 1953年(昭和28年)
パリのマーグ画廊、NYのピエール・マティス画廊で個展
- 1954年(昭和29年)
ヴェネツッア・ビエンナーレの版画部門国際大賞受賞。
- 1956年(昭和31年)
パルマに移住。大きなアトリエでの制作が可能となる
- 1957年(昭和32年)
ユネスコ本部のためにロレンス・イ・アルティガスと共同で『太陽の壁』『月の壁』を制作
- 1959年(昭和34年)
NY近代美術館で回顧展。グッゲンハイム財団国際大賞受賞
- 1962年(昭和37年)
パリ国立近代美術館で大規模代表作品展
- 1964年(昭和39年)
ロンドンのテート・ギャラリーとチューリヒ美術館で大回顧展
- 1966年(昭和41年)
日本で大回顧展
- 1967年(昭和42年)
カーネギー絵画賞受賞
- 1968年(昭和43年)
バルセロナの旧聖十字架病院で大回顧展
- 1970年(昭和45年)
大阪万博のために陶壁画制作
- 1971年(昭和46年)
シカゴ・アート・インスティテュート、ロンドンのへイワード・ギャラリー、チューリヒ美術館などて彫刻展。
- 1974年(昭和49年)
グラン・パレで絵画・彫刻・陶器の大回顧展、パリ市立近代美術館で大版画展
- 1975年(昭和50年)
ジョアン・ミロ財団 現代美術研究センターが正式にオープン。バルセロナのマーグ画廊で代表作品展
- 1978年(昭和53年)
マドリードで代表作品展。
- 1980年(昭和55年)
メキシコ近代美術館で回顧展。日本国内で絵画・素描展が巡回
- 1981年(昭和56年)
「ミラノのミロ」展がミラノの多くの会場で開催
- 1982年(昭和57年)
逝去