三岸節子
女流画家の第一人者として情熱を燃やし続けた洋画家
1905年明治38年 〜 1999年平成11年
夫は戦前のモダニズムを代表する画家のひとり三岸好太郎。1930年に長男黄太郎を出産するも、1934年に夫と死別したが、太平洋戦争中も疎開せず、明るい色調の静物画を多数描いた。 1954年、黄太郎が留学していたフランスに渡り、1968年には南フランスのカーニュに、1974年にはブルゴーニュ地方の農村ヴェロンに定住した。黄太郎とともにヨーロッパの各地を巡って風景画の傑作を生み出し、言葉の通じない異国での孤独感や老化による体の衰えと闘いながら絵を描き続けた。1989年に帰国し、1994年に89歳で女性洋画家として初めて文化功労者となり、死の直前まで筆をとった。故郷の愛知県一宮市には三岸節子記念美術館があり作品が展示されている。
- 性別
- 女性
- 歿日
- 1999年4月18日(日)
- 受章
- 文化功労者
- 関係のある主な作家
- 三岸好太郎(夫婦)
- 主な所蔵美術館
- 一宮市立 三岸節子記念美術館
年 | 主な出来事 |
---|---|
1905年明治38年 |
1月3日、吉田永三郎、菊の四女として起町(現在の一宮市)に生まれる |
1921年大正10年 |
淑徳高等女学校を卒業し、上京して洋画家・岡田三郎助に師事 |
1922年大正11年 |
女子美術学校(現在の女子美術大学)2学年に編入、三岸好太郎と出会う |
1924年大正13年 |
女子美術学校を首席で卒業、9月三岸好太郎と結婚 |
1925年大正14年 |
春陽会第3回展に初出品、初入選。婦人洋画協会結成に参加 |
1932年昭和7年 |
参加していた春陽会から離れ、独立美術協会第2回展に出品、入選 |
1934年昭和9年 |
夫・好太郎死去(享年31) |
1936年昭和11年 |
長谷川春子ら女性画家7人で七彩会を結成 |
1939年昭和14年 |
新制作派協会会員となる |
1945年昭和20年 |
戦後初の個展開催 |
1947年昭和22年 |
女流画家協会の創立に発起人として参加 |
1948年昭和23年 |
洋画家・菅野圭介と別居のかたちをとり再婚 |
1951年昭和26年 |
昭和25年度芸能(現在の芸術)選奨文部大臣賞受賞 |
1953年昭和28年 |
菅野圭介との結婚を解消 |
1954年昭和29年 |
初めて渡仏し、翌年帰国 |
1957年昭和32年 |
軽井沢の山荘で独居生活 |
1964年昭和39年 |
現在の神奈川県大磯に転居 |
1967年昭和42年 |
収集した好太郎の遺作220点を北海道に寄贈 |
1968年昭和43年 |
再び渡仏し、南仏カーニュに住む |
1969年昭和44年 |
女流美術家による総合展〈潮〉の結成に参加 |
1974年昭和49年 |
ブルゴーニュの小さな農村ヴェロンに移住 |
1977年昭和52年 |
ヒマラヤ美術館(名古屋)が開館、三岸節子作品室が設置される |
1983年昭和58年 |
北海道立三岸好太郎美術館が寄贈作品を基に開館 |
1986年昭和61年 |
秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章 |
1988年昭和63年 |
尾西市(現一宮市)名誉市民に推挙 |
1989年平成元年 |
帰国、神奈川県大磯に定住 |
1990年平成2年 |
1989年度朝日賞を受賞 |
1991年平成3年 |
三岸節子展<画業65年>開催(米・ワシントン女性芸術美術館) |
1994年平成6年 |
女性洋画家として初の文化功労者となる |
1998年平成10年 |
尾西市三岸節子記念美術館が生家跡地に開館 |
1999年平成11年 |
4月18日、急性循環不全により逝去(享年95) |
2005年平成17年 |
市町村合併にともない一宮市三岸節子記念美術館に名称変更 |