ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau

フランス 1826年 〜 1898年

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フランス象徴主義の画家。パリで建築家の父と音楽家の母のもとに生まれ、18歳で画家に弟子入り、20歳で国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。在学中に2度ローマ賞に応募するも落選。それを機に退学したが政府からの発注やサロン、パリ万博への出品など制作と発表の機会は多かった。31歳の時に私費でイタリアに滞在して、各地を移動しながら名作を模写して研鑽を積む。帰国後はイタリアで身に付けた様式を自作に反映させ、サロンへの出品を続ける。1888年美術アカデミー会員となり、1892年にかつて学んだ美術学校の教授に就任し、ルオーマティスらを指導した。


よく描くテーマ
象徴主義
聖書や神話
性別
男性
歿日
1898年4月18日(月)
関係のある主な作家
ジョルジュ・ルオー(弟子)
アンリ・マチス(弟子)
主な所蔵美術館
Musée national Gustave-Moreau
主な出来事
1826年文政9年

4月6日、建築家の父と音楽家の母の子供としてパリに生まれる。
芸術家の両親のもとでモローは8歳からデッサンを描くようになり、早くから絵画の才能をみせました。
20歳で国立美術学校に入学しますが3年で退学し、ロマン派の画家のもとで修行をしていました。
ドラクロワからも影響をうけています。

1852年嘉永5年

サロンに『ピエタ』を出品し入選

1857年安政3年

シャセリオに師事し、イタリア留学。イタリアの巨匠たちの模写をしています。
同時に留学中に、イタリアでドガに出会います。

1864年元治元年

サロンに出品した『オイディプスとスフィンクス』が考えの保守的だったサロンで賛否両論となりました。
このことがきっかけで有名画家となる。

1876年明治9年

『サロメ』『出現』などを発表。これらはユイスマンスやオスカー・ワイルドらの文学者に大きなインスピレーションを与えた。

1888年明治21年

美術アカデミー会員に選出

1891年明治24年

エコール・デ・ボザールの教授となる。門下生にはルオーマティスらがいる。

1898年明治31年

4月18日、パリにて、逝去。

最終更新 2014年05月20日
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