フランス象徴主義の画家。パリで建築家の父と音楽家の母のもとに生まれ、18歳で画家に弟子入り、20歳で国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。在学中に2度ローマ賞に応募するも落選。それを機に退学したが政府からの発注やサロン、パリ万博への出品など制作と発表の機会は多かった。31歳の時に私費でイタリアに滞在して、各地を移動しながら名作を模写して研鑽を積む。帰国後はイタリアで身に付けた様式を自作に反映させ、サロンへの出品を続ける。1888年美術アカデミー会員となり、1892年にかつて学んだ美術学校の教授に就任し、ルオーやマティスらを指導した。
- よく描くテーマ
- 象徴主義
- 聖書や神話
- 性別
- 男性
- 歿日
- 1898年4月18日(月)
- 関係のある主な作家
- ジョルジュ・ルオー(弟子)
- アンリ・マチス(弟子)
- 主な所蔵美術館
- Musée national Gustave-Moreau
年 | 主な出来事 |
---|---|
1826年文政9年 |
4月6日、建築家の父と音楽家の母の子供としてパリに生まれる。 |
1852年嘉永5年 |
サロンに『ピエタ』を出品し入選 |
1857年安政3年 |
シャセリオに師事し、イタリア留学。イタリアの巨匠たちの模写をしています。 |
1864年元治元年 |
サロンに出品した『オイディプスとスフィンクス』が考えの保守的だったサロンで賛否両論となりました。 |
1876年明治9年 |
『サロメ』『出現』などを発表。これらはユイスマンスやオスカー・ワイルドらの文学者に大きなインスピレーションを与えた。 |
1888年明治21年 |
美術アカデミー会員に選出 |
1891年明治24年 | |
1898年明治31年 |
4月18日、パリにて、逝去。 |