マリー・ローランサン
20世紀初頭から中盤のフランスを代表する、女流画家。夢見がちな少女時代の後、有名なモンマルトルの集合アトリエ、「洗濯船」で製作を続ける。こうして、彼女の周りで、フォーヴィズムやキュビズムといった前衛的な流れは起こりつづけたが、彼女自身は、憂いを秘めた女性像を描き続けた。ローランサンは生来、同性愛的な傾向も強く、生涯、ほとんど男性を描くことはなかった。例外的に、詩人のジャン・コクトーの肖像を残しているが、それも彼の中の女性性に惹かれて描いたという。
マリー・ローランサンのデータ
- 性別
- 女性
- 出身地
- フランス
- 誕生日
- 1883年(明治16年) 10月31日(水)
- 歿日
- 1956年(昭和31年) 6月8日(金)
マリー・ローランサンの略歴
- 1883年(明治16年)
パリで私生児として生まれる
- 1893年(明治26年)
パリのリセ・ラマルティーヌ高校に入学
- 1902年(明治35年)
女子師範学校の準備を止め、製陶所で磁器の絵付けの講習に通う
- 1903年(明治36年)
画商アンリ=ピエール・ロシェと出会う
- 1904年(明治37年)
リセ・ラマルティーヌ卒業。
画塾アカデミー・アンベールに入り、ジョルジュ・ブラックらと出会う- 1905年(明治38年)
ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)でパブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う
- 1907年(明治40年)
ギョーム・アポリネールと恋に落ちる。
アンデパンダン展に初出品- 1911年(明治44年)
ニコル・グルーと出会い、生涯の親友になる。アポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者(無罪)として警察に拘留されている間にローランサンのアポリネールへの恋愛感情も覚め、訣別。
- 1912年(明治45年/大正元年)
パリのバルバザンジュ画廊において初展覧会。「家具付きの貸家」製作
- 1913年(大正2年)
母ポーリーヌ死去。
ドイツ人画家、オットー・フォン・ヴェッチェンと出会う。
「読書する女」「アンドレ・グルー夫人ニコル」製作。- 1914年(大正3年)
ヴェッチェンと結婚し、スペインへ亡命。
- 1916年(大正5年)
バルセロナへ転居。 アポリネールが戦争で負傷
- 1917年(大正6年)
ピカビアの主催するダダの雑誌「391」に挿絵を提供。
- 1921年(大正10年)
パリへ転居。ロザンベール画廊での個展が成功する。
- 1922年(大正11年)
ヴェッチェンと離婚。
- 1923年(大正12年)
肖像画を描き始める。
ジャン・コクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装を担当- 1925年(大正14年)
シュザンヌ・モローと同棲。
- 1932年(昭和7年)
「パリ16区のアトリエ」にて教鞭をとる。
- 1949年(昭和24年)
ポール・モイリアン書店にて「友人達の肖像展」を開催。
- 1954年(昭和29年)
シュザンヌ・モローを養女に。
- 1956年(昭和31年)
パリにて心臓発作で死去。73歳。