小倉遊亀
安田靫彦に師事し、日本美術院に属する画家として活躍、女性として初の日本美術院理事長になるなど、まさに女性日本画家のトップと呼ぶべき優れた画家です。およそ80年の画業の中で同時代の女性像や静物を、力強い構成と鮮やかな色彩で生き生きと描きだしました。また105歳の没年まで絵筆を執り続けたその生き方は、多くの人々に感銘を与えました。
小倉遊亀のデータ
小倉遊亀の略歴
- 1895年(明治28年)
3月1日(金)、滋賀県滋賀郡大津市に生まれる。遊亀は本名。
- 1913年(大正2年)
奈良女子高等師範学校国語漢文部に入学。
- 1920年(大正9年)
6月、大磯の安田靫彦に入門する。
- 1922年(大正11年)
3月、日本美術院第8回 試作展に「静物」が入選する。
- 1926年(大正15年/昭和元年)
3月、師靫彦に勧められて「童女入浴の図」を小堀鞆音社中の革丙会革新第1回展に出品して入選。
9月、第13回 院展に「胡瓜」が初入選する。
- 1928年(昭和3年)
第15回 院展に「首夏」が入選。
9月19日付けで日本美術院院友に推挙される。
- 1929年(昭和4年)
第16回 院展に「故郷の人たち」を出品。
- 1932年(昭和7年)
6月11日(土)、女性として初めて、日本美術院同人に推挙される。
- 1936年(昭和11年)
第23回 院展に「受洗を謳う」を出品。
山岡鉄舟門下の禅徒 小倉鉄樹を知り、その教えを受ける。
- 1938年(昭和13年)
12月25日(日)、小倉鉄樹と結婚する。
- 1941年(昭和16年)
第28回 院展に「観世音菩薩」を出品。
- 1942年(昭和17年)
第29回 院展に「夏の客」を出品。
- 1944年(昭和19年)
小倉鉄樹、79歳で没する。
- 1945年(昭和20年)
戦争の激化にともない、母とともに大津に疎開する。
- 1947年(昭和22年)
第32回 院展に「磨針峠」を出品。
5月、日本橋三越において初めての個人展覧会を開催。
- 1949年(昭和24年)
毎日新聞連載の谷崎潤一郎「少将滋幹の母」の挿画を描く。
- 1950年(昭和25年)
第35回 院展に「花屑」「瓶花」を出品。
- 1951年(昭和26年)
第36回 院展に「娘」を出品。
- 1953年(昭和28年)
第38回 院展に「O夫人坐像」を出品。
- 1954年(昭和29年)
「O夫人坐像」他の業績に対して、第4回上村松園賞が贈られる。
第39回 院展に「裸婦」を出品。
- 1955年(昭和30年)
第39回 院展出品作「裸婦」に対して、昭和29年度 芸能選奨美術部門文部大臣賞を贈られる。
- 1956年(昭和31年)
第41回 院展に「小女」を出品。
- 1957年(昭和32年)
1月16日(水)、第41回 院展出品作「小女」に対して、第8回毎日美術賞が贈られる。
- 1958年(昭和33年)
第43回 院展に「家族達」を出品。
- 1959年(昭和34年)
第44回 院展に「家族達」を出品。
- 1961年(昭和36年)
第46回 院展に「母子」を出品。
- 1962年(昭和37年)
第47回 院展に「画人像」「若い人」を出品。
5月、第46回 院展出品作「母子」に対して、第18回日本芸術院賞が贈られる。
- 1963年(昭和38年)
第48回 院展に「少女」を出品。
- 1964年(昭和39年)
第49回 院展に「兄妹」を出品。
- 1965年(昭和40年)
第50回 院展に「月」を出品。
- 1966年(昭和41年)
滋賀県立琵琶湖文化館で『小倉遊亀回顧展』が開催。
- 1967年(昭和42年)
第52回 院展に「菩薩」を出品。
- 1968年(昭和43年)
第53回 院展に「観自在」を出品。
- 1970年(昭和45年)
第55回 院展に「姉妹」を出品。
- 1973年(昭和48年)
勲三等に叙され瑞宝章が贈られる。
- 1974年(昭和49年)
第59回 院展に「聴く」を出品。
- 1975年(昭和50年)
11月、第24回 神奈川県文化賞(神奈川県、神奈川新聞社共催)が贈られる。
- 1976年(昭和51年)
第61回 院展に「青巒」を出品。
12月、日本芸術院会員に任命される。
第一部(美術)では上村松園以来二人目の女性会員である。- 1977年(昭和52年)
第62回 院展に「雪」を出品。
- 1978年(昭和53年)
第63回 院展に「或る御神像」を出品。
文化功労者として顕彰される。
3月、日本美術院理事に推挙される。
- 1979年(昭和54年)
第64回 院展に「菩薩」を出品。
滋賀県文化賞が贈られる。
滋賀県立琵琶湖文化館で『滋賀県文化賞受賞記念 小倉遊亀展』が開催される。
- 1980年(昭和55年)
第65回 院展に「厨のもの(一)・(二)・(三)」を出品。
11月3日(月)、文化勲章を授与される。
女流画家としては上村松園以来であり、女性としては史上3人目の栄誉。- 1981年(昭和56年)
大津市の名誉市民として表彰される。
- 1984年(昭和59年)
第69回 院展に「うす霜」を出品。
滋賀県立近代美術館で『開館記念 小倉遊亀回顧展』を開催。
- 1985年(昭和60年)
第70回 院展に「花三題」を出品。
- 1986年(昭和61年)
第71回 院展に「花と果物」を出品。
- 1988年(昭和63年)
第73回 院展に「古陶磁と青柿」「白桃」「マンゴーなど」を出品。
- 1989年(昭和64年/平成元年)
第74回 院展に「紅白紫黄」を出品。
- 1990年(平成2年)
日本美術院理事長に就任。
第75回 院展に「半夏生」を出品。
- 1995年(平成7年)
鎌倉市名誉市民となる。
- 1996年(平成8年)
日本美術院理事長を退き、名誉理事長となる。
- 1999年(平成11年)
パリの三越エトワールにおいて、海外では初めての個展が開催される。
- 2000年(平成12年)
7月23日(日)、急性呼吸不全のため、聖路加国際病院にて逝去。
従三位に叙せられる。9月、第85回 院展に、絶筆となった「盛花」を出品。