ルイ・イカール
絵葉書の工房などで働きながら、絵画の修行を積み、18世紀のロココ美術やルネサンス期の古典絵画を反映させた、繊細かつモダンな画風で、華やかで優美な女性を魅惑的に描いた。また第一次世界大戦を生き抜いた独自の戦争観でエッチング作品を多く生み出し、1950年に62才で没するまでに、数々の名作を世に送り出した、アールデコを代表する画家
ルイ・イカールのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1888年(明治21年) 9月12日(水)
- 歿日
- 1950年(昭和25年) 12月30日(土)
ルイ・イカールの略歴
- 1888年(明治21年)
9月12日(水)、南フランスの古都、トゥールズ市トラヴェルジェール・ド・ラ・バランス街に銀行家ジャン・イカールと妻エリザベートの長男として生まれる。
- 1904年(明治37年)
トゥールズ高等商業学校を卒業。
- 1905年(明治38年)
兵役終了後、友人エスキロルと演劇界を目指してパリに出る。
パリで絵はがき工房の仕事を得る。エッチングやリトグラフなどの技術を習得。
- 1908年(明治41年)
雑誌「演劇批評(ラ・クリティク・テアトル)」の表紙にHelliの署名でイラストを描く。
- 1911年(明治44年)
「バラのメヌエット」「散歩の前に」「オペラ座にて」等数十点のエッチングを制作。
- 1912年(明治45年/大正元年)
オートクチュールのアトリエで知り合った年上の未亡人と最初の結婚。
バルセロナのギャラリーで最初の個展を開く。
- 1913年(大正2年)
「演劇批評」での仕事が認められ、ラ・ボエシー画廊の第3回展に出品。
ワグラム画廊がイカールの作品をアメリカに販売。
- 1914年(大正3年)
ファニー・ヴォルメールに出会う。以後、彼女はイカールのモデルを勤めるようになる。
エリゼ宮で催されたパリ・オペラ・バレー劇団によるデンマーク国王夫妻歓迎特別公演で衣装デザインを担当。
ファッション誌「ガゼットデュポントン」主催による個展をブリュッセル市で開催。
ゲント(ベルギー)の展覧会に出品、栄誉賞。
- 1915年(大正4年)
長女レーヌ誕生。
- 1917年(大正6年)
ラ・ボエシー画廊による戦争とユーモア画家展に版画4点を出品。
- 1918年(大正7年)
戦争をテーマとした作品がエノー画廊の目にとまる。
11月、第一次世界大戦が終わり復員。
- 1920年(大正9年)
シモンソン画廊で油彩画の個展。
ファニー・ヴォルメールと正式に結婚。
- 1921年(大正10年)
アメリカに販売網を持つフランスの版元・近代版画社から、製作依頼を受ける。
- 1922年(大正11年)
アメリカを訪れ、ワナメーカー百貨店での個展も成功をおさめる。
- 1927年(昭和2年)
レジオン・ド・ヌール5等勲章を受章。
- 1928年(昭和3年)
コレット著「気ままな小娘」の版画入り豪華本を手がける。
- 1932年(昭和7年)
メトロポリタン画廊(ニューヨーク)にて油彩の連作「白いヴィション」の展覧会。
- 1933年(昭和8年)
アレクサンドル・デュマ・フィス著「椿姫」のポスター制作。
- 1940年(昭和15年)
ドイツ軍侵攻をテーマにした連作「エクソダス」を制作。
- 1944年(昭和19年)
パリ解放とともに、版画制作を再開。
- 1950年(昭和25年)
12月30日(土)、モンマルトルの自宅で死去。イットヴィルの共同墓地に埋葬される。