モーリス・ユトリロ
彼は奔放な母親に育てられ、孤独な少年時代を過ごしました。子供の時から飲酒をはじめ、10代でアルコール依存症になってしまいます。その治療のために絵を描き始めたのですが、すぐにその才能を発揮。最初はやや暗い色調で風景画を描いており、その時代は「モンマニーの時代」と呼ばれております。そして、1908年頃から「白の時代」が始まります。 「白の時代」には白が印象的な建物や壁が多く描かれており、絵の具に石膏や砂などを混ぜてリアルな質感を出しています。飲酒はずっと続けていましたが、絵の技術は上達し、最も制作意欲が充実していた時期だったと言われています。また印象的な特徴として、この時期の作品に描かれる建物は、窓が閉じている点があります。彼の精神の閉塞感が表れているのでしょう。後年ユトリロは画家としての評価が確立され、国家勲章を受章するまでになりましたが、「白の時代」を自ら真似たような作品もたくさん描いています。彼の絵が評価を受け始めてからは、建物の窓は開いており、彼の精神状態の変化が見て取れます。 晩年は高級住宅地に家を建てて住みながら絵を描きました。71歳のときに静養先で急逝しますが、葬儀には数万人が集まったとされ、パリの人気作家として名声のうちに亡くなりました。亡くなった年には、パリ名誉市民賞も受賞しました。
モーリス・ユトリロのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1883年(明治16年) 12月16日(日)
- 歿日
- 1955年(昭和30年) 11月5日(土)
- 勲章
- レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章
- 美術館
- Musée Utrillo Valadon - Sannois -
- パブリックコレクション
- パリ市立近代美術館
- ポーラ美術館
- 松岡美術館
- 名古屋市美術館
- 上原近代美術館
- オランジュリー美術館
- 鑑定機関・鑑定人
- Helene BRUNEAU
- モーリス・ユトリロ協会
- シュザンヌ・ヴァラドン
- メイン・テーマ
- パリ
モーリス・ユトリロの略歴
- 1883年(明治16年)
12月26日(水)、パリ・モンマルトルの丘の麓に位置するポトー街8番地にて、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。
- 1891年(明治24年)
スペインの美術評論家ミゲル・ユトリロの養子となった。
- 1896年(明治29年)
パリのロラン中学校に入学。10歳ごろより飲酒を覚え、飲酒癖がひどくなる。
- 1900年(明治33年)
早くから異常な飲酒癖を示し、17歳で最初のアルコール中毒で入院するように なった。
- 1904年(明治37年)
パリのサン=タンヌ精神病院に入院。退院後、それを治すために医師の助言と 母の説得で治療のため絵を描き始める。もともと画家的雰囲気に育った彼は優れた天性を発揮する。
- 1909年(明治42年)
ほとんど独学で絵を学び、印象派的な時期を経過して、画壇からも孤立し、 哀愁に満ちたパリの街角など身近な風景画を数多く描いたが『白に時代』といわれるこのころの作品に秀作が多い。 サロン・ドートンヌに出品。
- 1913年(大正2年)
最初の個展を開催、評判となる。
- 1914年(大正3年)
モンマルトルの建物や風景を重厚なマチエールで描く独自の世界を築き上げ、この頃<白の時代>の絶頂期を迎える。
そして、精神病院への入退院を繰り返す。- 1918年(大正7年)
ユトリロはピックピュスの療養所から脱走して、モンパルナスのラ・グランショーミエル街の安レストランで、モジリアニと出会う。
- 1919年(大正8年)
ルプートル画廊の個展が大成功を収める一方、アルコール中毒は治らず、何度 となく入退院をくりかえす。
- 1922年(大正11年)
美術商のポール・ギヨームはついにユトリロの作品35点を集めた展覧会を開催し、大きな成功を収めた。
- 1928年(昭和3年)
レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与される。
- 1935年(昭和10年)
コレクターの未亡人、リュシー・ヴァロールと結婚し、晩年は裕福な生活を送りながら絵葉書をもとにパリの風景を描きつづけた。
- 1955年(昭和30年)
11月5日(土)、南仏ダックスにて死去。モンマルトルに埋葬される。
- 2010年(平成22年)
オグルソープ大学美術館やパリのモンマルトルで回顧展が開催され、その結果、2010年11月30日には、ユトリロのアートディーラーであり、ジャック・テヴェネなども扱っていたポール・ペトリデスのコレクションから、ユトリロの作品30点がオークションにかけられました。2009年にパリで開催された「スザンヌ・ヴァラドンとモーリス・ユトリロの作品展」に続くものです。