モーリス・ド・ヴラマンク
パリに生まれる。両親とも音楽家。田園生活の中で見出した雪深い寒村の冬景色は、自らの性向に相応しい表現様式を確立させたヴラマンクにとって、内に秘めた孤独感や情念を表現する格好のモティーフとなった。音楽、スポーツのほか、小説や詩作を行い、絵画論もものする多才な画家であった。 独学で絵を学び、当初はゴッホの影響で独特な色彩感覚に、その後、セザンヌの影響を受け、暗い色調の風景画へと移る。 「本能こそ芸術の本質」と言って、自由で大胆な画風を作りだした。
モーリス・ド・ヴラマンクのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1876年(明治9年) 4月4日(火)
- 歿日
- 1958年(昭和33年) 10月11日(土)
モーリス・ド・ヴラマンクの略歴
- 1876年(明治9年)
4月4日(火)、パリに生まれる。父親は教会のテノール歌手も務めるヴァイオリン教師で、母親はピアノ教師だった。
- 1893年(明治26年)
17歳のヴラマンクはル・ヴェジネの隣町のシャトゥーで自活し、絵を描き始める。
- 1894年(明治27年)
ジェルメーヌと結婚。翌年、長女が生まれる。生活のために自転車競技を行うが、軍隊に入営。3年間の兵役で軍楽隊でコントラバスの奏者に。
- 1899年(明治32年)
友人と共作し、小説を書く。軍隊の祭典の際には、舞台背景を描いた。
- 1900年(明治33年)
兵役休暇中にドランに会い、9月に除隊するとシャトゥー島に共同アトリエを借りる。
- 1901年(明治34年)
ゴッホ展会場でヴラマンクとドランはマティスに会います。
- 1902年(明治35年)
友人のセルナダとの共著「風に吹かれる種子」を発表
- 1905年(明治38年)
サロン・ドートンヌに彼らは一緒に出品し、第七展示室に飾られ、多くの批判を受ける。フォーヴの名称が生まれました。「フォーヴ」とは野獣の意。
- 1906年(明治39年)
前年より画壇の地位を確立したセザンヌの作品を見て強く刺激を受ける
- 1907年(明治40年)
画商ボラールにより、最初の個展を開催。ヴラマンクにとりフォーヴィズムの総決算となる
- 1908年(明治41年)
セザンヌの影響を受け、フォーブから離れた作風を見せ始める。
- 1912年(明治45年/大正元年)
画商ボラールと契約を結ぶ
- 1914年(大正3年)
国民軍への召集
- 1918年(大正7年)
第一次世界大戦終戦後、ドランやマティスから離れ、フォービズムからも遠ざかる。
- 1919年(大正8年)
二度目の個展
- 1920年(大正9年)
作家論が出版される。写実性の強い画風に変化
- 1922年(大正11年)
ベルネイム・ジュンで個展。グワッシュ40点、油彩10点を出品し、初日に9点の油絵と半数のグワッシュが売約。個展終了までに完売。
サロン・ドートンヌとサロン・デ・チュイルリーに出品
- 1925年(大正14年)
ベルネイム・ジュンで全傑作展開催。ノルマンディ平原の小さな村ラ・トゥルイエールへ転居
- 1928年(昭和3年)
贋作が多く出始め、画廊や展覧会でいくつかの贋作を見つけて引き裂いた。
- 1933年(昭和8年)
グループ展とパレ・デ・ポーザルで回顧展
- 1934年(昭和9年)
執筆に精を出し、続けて2作も出版。その後も回想録、詩、小説などの出版を続ける。
- 1936年(昭和11年)
NYカーネギー研究所での展覧会
- 1937年(昭和12年)
パリ万博で個人展
- 1947年(昭和22年)
シャトゥー派回顧展が成功。現代絵画創始者のひとりと認められる。
- 1954年(昭和29年)
ヴェネツッア・ビエンナーレに出品。
- 1956年(昭和31年)
シャンパルティエ画廊で80歳を記念する回顧展(約200点の作品)
- 1958年(昭和33年)
10月10日(金)、ジュネーブのアテネ美術館で回顧展。逝去。享年82歳。