モイーズ・キスリング
モンパルナスの帝王
1891年(明治24年) 〜 1953年(昭和28年)
エコール・ド・パリの画家。ポーランドのクラクフに生まれ、地元の美術学校で印象派の影響を受けたパンキェヴィッチに師事する。1910年にはパリへ出て、後にモンマルトルの「洗濯船」に住む。モディリアーニやスーティンらと交友をもった。戦後フランスへ帰化し、優雅なスタイルの画風を確立して、肖像画などで成功を収めた。その色彩は明るく鮮やかで、異国的な情感の女性像を描くことで知られる。
モイーズ・キスリングのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1891年(明治24年) 1月22日(木)
- 歿日
- 1953年(昭和28年) 4月29日(水)
- 美術館
- プティ・パレ美術館
- 子
- Jean Kisling
モイーズ・キスリングの略歴
- 1891年(明治24年)
1月22日(木)、ポーランドのクラクフのユダヤ人の家に生まれる。
- 1910年(明治43年)
パリに出て、画家として本格的に絵を描き始める。
- 1912年(明治45年/大正元年)
モンマルトルのバトー・ラヴォワール(洗濯船)に移り住む。
- 1916年(大正5年)
第一次世界大戦に外人部隊として従軍し、戦後フランス国籍を得る。
- 1919年(大正8年)
ギャルリー・ドリュエにて個展を開催。
- 1940年(昭和15年)
第二次世界大戦の戦禍を逃れ、アメリカに亡命。
- 1946年(昭和21年)
戦後、フランスに戻る。
- 1953年(昭和28年)
4月29日(水)、南フランス・ヴァール県の港町サナリー・シュル・メールにて没。ラ・ヴァレット墓地に埋葬される。