Paul Delvaux ポール・デルヴォー

1897年(明治30年) 〜 1994年(平成6年)
ポール・デルヴォーについて(略歴)

ポール・デルヴォーのデータ

性別
男性
誕生日
1897年(明治30年) 9月23日(木)
歿日
1994年(平成6年) 7月20日(水)
パブリックコレクション
愛知県美術館
メトロポリタン美術館
埼玉県立近代美術館
ポール・デルヴォー美術館

ポール・デルヴォーの略歴

1897年(明治30年)

9月23日(木)、リエージュ州ユイ近郊の母の実家で誕生。
父は裕福な弁護士で、ブリュッセルの裁判所に近いアルブル通りに妻と住んでいた。

1916年(大正5年)

両親の薦めで、ブリュッセルの王立美術アカデミーの建築学科に入学。
しかし数学の成績が悪く落第、建築の勉強を放棄して絵画を描き始める。

1918年(大正7年)

9ヶ月の兵役の後、美術科に入り風景画の基礎を学ぶ。 

1924年(大正13年)

卒業。

後期印象派のグループ「ル・シオン」の展覧会に出品。

1928年(昭和3年)

現代美術の諸傾向に触れ、裸婦が重要なモチーフになっていく。

1929年(昭和4年)

アンヌ・マリー・ド・マルトラールに恋するが、両親に反対される。

1931年(昭和6年)

親友のクロード・スパークが『カイエ・ド・ベルジック』に長文のデルヴォー論を掲載。

1936年(昭和11年)

ブリュッセルで個展。

1937年(昭和12年)

シュザンヌ・ピュルナルと結婚。

1938年(昭和13年)

パリで刊行の『シュルレアリスム簡易辞典』に「夜の叫び(The call of night )」が収録される。

1944年(昭和19年)

占領下のブリュッセルを逃れ、郊外のリクサンサールに移る。

1947年(昭和22年)

ジャン・ジュネの戯曲によるバレエ『アダム・ミロワール』の舞台装置を手がける。

アンヌ・マリー・ド・マルトラールと再会。 

1950年(昭和25年)

ブリュッセルの国立美術建築学校の絵画部門の教授に任命され、1962年まで教鞭をとる。

1952年(昭和27年)

オステンドの保養所のための壁画を人魚を主題に選んで制作。

アンヌ・マリー・ド・マルトラールと再婚する。

1954年(昭和29年)

ベルギー航空社長ジルベール・ペリエ邸の壁画を制作。

1959年(昭和34年)

ブリュッセルのパレ・デ・コングレの長さ41メートルの壁画「地上の楽園」を制作。

1961年(昭和36年)

日本国際美術展の特別展示『ベルギー絵画の10年展』に出品。

1962年(昭和37年)

オステンド美術館で回顧展。
開会の翌日市の助役らが抗議を行い、不道徳とみなされる何点の撤去を要求し、入場は21歳以上に制限された。

1965年(昭和40年)

ベルギーの王立美術学校の美術部門の長に任命される。

1973年(昭和48年)

オランダのレンブラント賞を受賞。

1975年(昭和50年)

国立近代美術館(東京/京都)で、日本初の『ポール・デルボー展』が開催。

1976年(昭和51年)

フランス政府からレジオン・ドヌール勲章が授与される。

1977年(昭和52年)

アカデミー・フランセーズの外国人会員に選ばれる。

1978年(昭和53年)

ブリュッセル地下鉄のブルス駅に壁画を制作。 

1981年(昭和56年)

ブリュッセルで『アンディ・ウォーホルによるポール・デルヴォーの8点の肖像画』展が開催される

1982年(昭和57年)

オステンドに近いサンティスバルドにデルヴォー美術館開館。

1983年(昭和58年)

2度目の大規模なデルヴォー展が日本で開催される。

1994年(平成6年)

没す。

TOP