ベルナール・ビュッフェ
ベルナール・ビュフェ(1928-1999)は、黒い描線と抑制された色彩によって第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描出し、世界中の人々の共感を呼びました。その虚飾を廃した人物描写は、当時の若者に多大な影響を及ぼしたサルトルの実存主義やカミュの不条理の思想の具現化として映り、ビュフェ旋風を巻き起こしました。具象画壇の旗手となったビュフェはベルナール・ロルジュやアンドレ・ミノーとともに、新具象派あるいはオムテモアン(目撃者)と呼ばれ、1950年代半ばには日本でも頻繁に紹介されました。日本の美術界は抽象画全盛の季節を迎えていましたが、ビュフェの黒い直線と強烈な表現に衝撃を受けた芸術家は少なくありませんでした。以来、半世紀以上の年月が流れましたが、現代のアートシーンにおいてもビュフェの存在感はゆるぎないものとなっています。
ベルナール・ビュッフェのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1928年(昭和3年) 7月10日(火)
- 歿日
- 1999年(平成11年) 10月4日(月)
- 勲章
- レジオン・ドヌール勲章
- 美術館
- ベルナール・ビュフェ美術館
- パブリックコレクション
- 国立西洋美術館
- ひろしま美術館
- 大原美術館
- 北野美術館
- パリ市立近代美術館
ベルナール・ビュッフェの略歴
- 1928年(昭和3年)
7月10日(火)、パリに生まれる。 美術学校で学ぶも、 母の死があり退学。学友の家に滞在し、独自に制作を始める。
- 1943年(昭和18年)
夜間講座に通いデッサンを学ぶ。
- 1944年(昭和19年)
パリ美術大学に入学。ナルボンヌに師事する。
- 1946年(昭和21年)
サロン・ド・モワン・ド・トランタンに初めて「自画像」を出品。
- 1947年(昭和22年)
アンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品、注目され始める。
- 1948年(昭和23年)
第一回クリティック賞を受賞。版画(ドライポイント)を始める 。(20歳)
- 1949年(昭和24年)
ドルゥアンニダヴィット画廊(モーリス・ガルニエ画廊)と契約を結び、毎年2月定期的に主題を決めた新作個展を開催。
- 1951年(昭和26年)
最高傑作とされる三部作「キリストの受難」を制作。
- 1952年(昭和27年)
連作銅版画「マルドロールの詩」、石版画第1作発表。
- 1953年(昭和28年)
日本国際美術展に出品。
- 1958年(昭和33年)
アナベルと結婚。シャルバンティエ画廊で回顧展を開催。
- 1962年(昭和37年)
初の連作カラーリトグラフ「パリシリーズ」を制作。
- 1963年(昭和38年)
国立近代美術館(東京)でビュッフェ展を開催。
- 1964年(昭和39年)
「昆虫」石版展。
- 1965年(昭和40年)
「ニューヨーク」シリーズを制作。
- 1966年(昭和41年)
「サンフランシスコ」「サーカス」「闘牛士」各連作石版画シリーズ。
- 1971年(昭和46年)
フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章のシュヴァリエ(騎士)章を受ける。
- 1973年(昭和48年)
静岡県長泉町駿河平に世界ではじめてのベルナール・ビュッフェ美術館開館。
- 1979年(昭和54年)
カラーリトグラフ「サントロペ」連作。
- 1981年(昭和56年)
妻アナベルの文章とビュッフェの文字による「日本旅行」の挿絵のため24点のリトグラフを制作。
- 1987年(昭和62年)
9月、名古屋市愛知県美術館にて代表作80点を集めた展覧会を開催。
- 1991年(平成3年)
東京・京都国立美術館で回顧展。静岡にベルナール・ビュッフェ美術館オープン。
- 1999年(平成11年)
10月4日(月)、南フランス・ボームの自宅で逝去。享年71歳。