Paul Klee パウル・クレー

1879年(明治12年) 〜 1940年(昭和15年)
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パウル・クレーについて(略歴)

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パウル・クレーのデータ

性別
男性
出身地
スイス
誕生日
1879年(明治12年) 12月18日(木)
歿日
1940年(昭和15年) 6月29日(土)
美術館
Zentrum Paul Klee Bern

コラム

音が色になり、色が詩になる―パウル・クレーの芸術

パウル・クレーの略歴

1879年(明治12年)

12月18日(木)、スイスの首都・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。

1898年(明治31年)

高校卒業と同時にドイツのミュンヘンに出たクレーは、同地の美術学校への入学をめざして、画家クニールの塾に通い始める。

1899年(明治32年)

美術学校への入学を果たしますが、在学期間は短く、ベルンに戻り、半年間ものイタリア旅行に旅立ちます。

1906年(明治39年)

リリーとの結婚を機にクレーはふたたびミュンヘンで暮らすようになりました。

1907年(明治40年)

息子のフェリックスが誕生します。

1911年(明治44年)

カンディンスキーらの「青騎士」グループと交流。

1914年(大正3年)

チュニジアへ旅した。このころから色彩に関心を持つようになり、これ以後は色で構成された抽象的が作品を描くようになる。

1916年(大正5年)

第一次大戦に徴兵された。親友のフランツ・マルクが戦死している。

1920年(大正9年)

ワイマール、デッサウのバウハウスで教えた。絵画教育を理論化することに貢献する。

1928年(昭和3年)

エジプト旅行で関心を持った形象の記号化を進めた。

1931年(昭和6年)

デュッセルドルフ美術学校へ移る。

1933年(昭和8年)

ナチスに追われ、以後ベルンに定住した。102点の作品がナチスに没収され、1937年の「堕落美術展」には、そのうち17点が展示されたという。

1940年(昭和15年)

6月29日(土)、逝去。

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