ジョルジュ・ブラック
ピカソとともにキュビズムを生み出した20世紀を代表する画家
1882年(明治15年) 〜 1963年(昭和38年)
ピカソとともにキュビズムを生み出した20世紀を代表する画家。ピカソよりも画家としてのキャリアでは劣ったが、絵画における発明の才はピカソも一目を置いた。第一次世界大戦を挟んで画風は一変するが、生涯に渡って絵を書き続けた画家である。
0010847
ジョルジュ・ブラック
Equinoxe 昼夜平分時
0008697
ジョルジュ・ブラック
星座と鳥Ⅰ"Astre et oiseau I"
0009784
ジョルジュ・ブラック
Les Fleurs Violets
0012715
ジョルジュ・ブラック
Nature morte oblique (Oblique Still Life)
0008711
ジョルジュ・ブラック
Théière et Citrons
0008710
ジョルジュ・ブラック
Apples and Leaves
0008709
ジョルジュ・ブラック
Blue and Yellow Bird
0010820
ジョルジュ・ブラック
『Braque Lithographe』より L'oiseau de sables
0010821
ジョルジュ・ブラック
『8月』より One plate, from Août
0014918
ジョルジュ・ブラック
騎手
0010451
ジョルジュ・ブラック
Bass
リトグラフ
34.0 × 52.7 cm
売却済
リトグラフ
27.5 × 32.0 cm
売却済
カラーエッチング
47.5 × 29.0 cm
売却済
カラーエッチング
アクアチント
29.0 × 28.5 cm
売却済
リトグラフ
50.0 × 65.0 cm
売却済
リトグラフ
30.5 × 45.0 cm
売却済
リトグラフ
29.0 × 41.0 cm
売却済
リトグラフ
30.4 × 24.0 cm
売却済
アクアチント
10.0 × 13.5 cm
売却済
エッチング
ソフトグランドエッチング
アクアチント
14.5 × 28.5 cm
売却済
エッチング
45.5 × 33.0 cm
売却済
ジョルジュ・ブラックのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1882年(明治15年) 5月13日(土)
- 歿日
- 1963年(昭和38年) 8月31日(土)
- 鑑定機関・鑑定人
- Galerie Louise Leiris, Paris.
ジョルジュ・ブラックの略歴
- 1882年(明治15年)
パリ郊外アルジャントゥイユに生まれる。
- 1890年(明治23年)
一家はル・アーヴルに移り、同地の中学校、ついで美術学校に通う。美術学校でフリエスとデュフィと知り合う。
- 1899年(明治32年)
学校をやめ、塗装業の見習いとなる。
- 1900年(明治33年)
塗装の修業を終えるためパリに出、バティニョールの市立美術学校で絵とデッサンの勉強を続ける。
- 1902年(明治35年)
アカデミー・アンベールとエコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室に入る。
- 1905年(明治38年)
フォーヴィスムの影響を受けて、大胆な色彩の作品を制作。
フリエス、ラウル・デュフィとともにル・アーヴル3人組と呼ばれた。- 1907年(明治40年)
ピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》を見、またセザンヌの回顧展を見て、その作風が大きく変わる。
- 1909年(明治42年)
パリで2点の作品をサロンへ出品した。このとき初めてキュビスム的絵画が大衆へ曝されることとなり、大きな噂となる。
- 1911年(明治44年)
ブラックは葡萄の房やバイオリンが登場する作品を多数製作した。
- 1912年(明治45年/大正元年)
カンバスの一部に丁寧に木目を描いたり、絵具に砂を混ぜるなど、後のコラージュやパピエ・コレに通ずる作品を製作した。
- 1917年(大正6年)
製作を再開する。軍属でもあった画商レオンス・ローザンベールと契約する。
- 1919年(大正8年)
ローザンベールの画廊で個展を開いた。
- 1937年(昭和12年)
カーネギー国際大賞受賞して国際的名声を獲得する。
- 1948年(昭和23年)
ベネチア・ビエンナーレで大賞受賞。ニューヨークで大回顧展開催。
- 1953年(昭和28年)
ルーブル美術館・シュリー翼のアンリ二世の間の天井画を手掛ける。
- 1963年(昭和38年)
8月31日(土)、パリにて逝去。 ルーヴル美術館の前で国葬が執り行われた。