Georges Braque ジョルジュ・ブラック

ピカソとともにキュビズムを生み出した20世紀を代表する画家
1882年(明治15年) 〜 1963年(昭和38年)
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ジョルジュ・ブラックについて(略歴)

ジョルジュ・ブラックのデータ

性別
男性
誕生日
1882年(明治15年) 5月13日(土)
歿日
1963年(昭和38年) 8月31日(土)
鑑定機関・鑑定人
Galerie Louise Leiris, Paris.

ジョルジュ・ブラックの略歴

1882年(明治15年)

パリ郊外アルジャントゥイユに生まれる。

1890年(明治23年)

一家はル・アーヴルに移り、同地の中学校、ついで美術学校に通う。美術学校でフリエスとデュフィと知り合う。

1899年(明治32年)

学校をやめ、塗装業の見習いとなる。

1900年(明治33年)

塗装の修業を終えるためパリに出、バティニョールの市立美術学校で絵とデッサンの勉強を続ける。

1902年(明治35年)

アカデミー・アンベールとエコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室に入る。

1905年(明治38年)

フォーヴィスムの影響を受けて、大胆な色彩の作品を制作。
フリエス、ラウル・デュフィとともにル・アーヴル3人組と呼ばれた。

1907年(明治40年)

ピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》を見、またセザンヌの回顧展を見て、その作風が大きく変わる。

1909年(明治42年)

パリで2点の作品をサロンへ出品した。このとき初めてキュビスム的絵画が大衆へ曝されることとなり、大きな噂となる。

1911年(明治44年)

ブラックは葡萄の房やバイオリンが登場する作品を多数製作した。

1912年(明治45年/大正元年)

カンバスの一部に丁寧に木目を描いたり、絵具に砂を混ぜるなど、後のコラージュやパピエ・コレに通ずる作品を製作した。

1917年(大正6年)

製作を再開する。軍属でもあった画商レオンス・ローザンベールと契約する。

1919年(大正8年)

ローザンベールの画廊で個展を開いた。

1937年(昭和12年)

カーネギー国際大賞受賞して国際的名声を獲得する。

1948年(昭和23年)

ベネチア・ビエンナーレで大賞受賞。ニューヨークで大回顧展開催。

1953年(昭和28年)

ルーブル美術館・シュリー翼のアンリ二世の間の天井画を手掛ける。

1963年(昭和38年)

8月31日(土)、パリにて逝去。 ルーヴル美術館の前で国葬が執り行われた。

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