マルク・シャガール
「色彩の魔術師」といわれる豊麗な色、空中を浮遊する超現実的幻想、詩情などで独自の世界を展開。 銅板、リトグラフによる多数の挿画本、版画を制作。世界画壇の最高峰として市場人気が高い。
マルク・シャガールのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1887年(明治20年) 7月7日(木)
- 歿日
- 1985年(昭和60年) 3月28日(木)
マルク・シャガールの略歴
- 1887年(明治20年)
7月7日(木)、ヴィテブスク(ヴィーツェプスク/旧ソビエト領・現ベラルーシ)生まれ。両親はユダヤ人。
- 1907年(明治40年)
ペテルスブルク美術学校(サンクトペテルブルグ)で学ぶ。
- 1909年(明治42年)
レオン・バクストのズヴァンツェヴァ美術学校で学ぶ。
- 1910年(明治43年)
13年以後詩人ブレーズ・サンドラール、マックスシヤコブをはじめレジェ、モジリアーニ、ドローネなどの画家と知り、アポリネールと親交を結び、アンデパンダン展に出品。
- 1914年(大正3年)
ベルリンで初個展。初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り立体派に感化される。
- 1915年(大正4年)
母が病死。
同郷のベラ・ローゼンフェルトと結婚。
- 1917年(大正6年)
革命後の故郷で美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和でパリに戻る。やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスム作風を確立。
- 1922年(大正11年)
ベルリンへ寄り、版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画技法を習得。同年最初の銅版画「わが生涯」を出版者カッシラーの依頼で制作。
- 1923年(大正12年)
パリへ渡る。ヴォラールの依頼によりゴーゴリーの「死せる魂」及びラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作。
- 1931年(昭和6年)
ヴォラールの依頼で壮大な主題「バイブル」に取り組むためパレスチナへ旅行。
- 1939年(昭和14年)
カーネギー賞受賞。
- 1941年(昭和16年)
第二次世界大戦勃発。ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命。
- 1944年(昭和19年)
最愛の妻ベラ・ローゼンフェルトを亡命先のアメリカで亡くす。
- 1945年(昭和20年)
ニューヨーク近代美術館及びシカゴ・アート・インティテュートで回顧展開催。
- 1948年(昭和23年)
カラー石版画「アラビアンナイト」発表。ヴェニス第25回ビエンナーレ版画賞受賞。
- 1950年(昭和25年)
南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得。
- 1952年(昭和27年)
ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。
- 1954年(昭和29年)
ギリシャへ旅行。カラー石版画「ダフニスとクロエ」の仕事開始。
- 1956年(昭和31年)
サーカスをテーマに石版画を制作。銅版画「バイブル」を発表。
- 1958年(昭和33年)
「デッサンバイブル」カラー石版画25点制作。(60年発表)
- 1960年(昭和35年)
エラスムス賞(エラスムス財団・オランダ)が贈られる。
- 1963年(昭和38年)
パリ・オペラ座の天井画制作。東京、京都で大回顧展開催。
- 1965年(昭和40年)
カラー石版画「エクソダス」制作。
- 1966年(昭和41年)
17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。
- 1967年(昭和42年)
生誕80周年を記念チューリッヒ、ケルンで大回顧展開催。ルーブル美術館で「聖書の使命」展開く。
- 1973年(昭和48年)
7月7日(土)、ニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現在は国立マルク・シャガール美術館)が開館。
- 1976年(昭和51年)
東京国立近代美術館で個展を開く。
- 1985年(昭和60年)
死去。サン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に埋葬される。