エゴン・シーレ
人間存在の不安を描いた夭折の画家
1890年(明治23年) 〜 1918年(大正7年)
エゴン・シーレは、1890年オーストリア生まれの画家で、ウィーン世紀末から表現主義を語るうえで欠かせない重要作家です。 グスタフ・クリムトの影響を受けつつも、鋭く引き締まった線、痩せた身体表現、強い心理性を帯びた人物像によって、きわめて独自の造形世界を築きました。 とりわけ自画像や裸婦像には、生の不安、孤独、官能、精神の緊張がむき出しのかたちで表れ、短い生涯のなかで近代人物表現を大きく切り開きました。 1918年に28歳で没しましたが、その鮮烈な作品は今日もなお、ウィーン近代美術を象徴する存在として高く評価されています。
エゴン・シーレのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1890年(明治23年) 6月12日(木)
- 歿日
- 1918年(大正7年) 10月31日(木)
エゴン・シーレの略歴
- 1890年(明治23年)
6月12日(木)、オーストリア・ドナウ河畔の小都市トゥルンに生まれる。
- 1907年(明治40年)
師ともなるクリムトと知り合う。
- 1908年(明治41年)
最初の個展を開く。
- 1909年(明治42年)
C.グリーペンケールの保守的な教育に反発し、ウィーン美術学校を退学。
「新芸術家集団」(Neukunstgruppe)を結成し、ピスコ画廊で展覧会。- 1910年(明治43年)
ウィーン工房がシーレのデザインによる絵葉書を3枚出版。
- 1912年(明治45年/大正元年)
ノイレングバッハで「不道徳」「未成年者誘拐」の容疑で24日間の投獄生活をおくる。
- 1913年(大正2年)
ミュンヘン、シュトゥットガルト、ベルリンなどで個展。分離派展にも参加。
- 1914年(大正3年)
ウィーンのアルノット画廊で個展。自画像を数多く制作。
- 1915年(大正4年)
オーストリア=ハンガリー軍に入隊。
エーディト・ハルムスと結婚。- 1916年(大正5年)
ベルリン分離派展に「死と少女」などを出品。
- 1917年(大正6年)
作品制作を再開。
- 1918年(大正7年)
第49回ウィーン分離派展に参加。 シーレの作品がメイン・ホールを飾り、50点以上の新作を一挙に公開。はじめての大成功をおさめる。
10月31日(木)、スペイン風邪により、ウィーンで歿。