Egon Schiele エゴン・シーレ

人間存在の不安を描いた夭折の画家
1890年(明治23年) 〜 1918年(大正7年)
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エゴン・シーレについて(略歴)

エゴン・シーレのデータ

性別
男性
誕生日
1890年(明治23年) 6月12日(木)
歿日
1918年(大正7年) 10月31日(木)

エゴン・シーレの略歴

1890年(明治23年)

6月12日(木)、オーストリア・ドナウ河畔の小都市トゥルンに生まれる。

1907年(明治40年)

師ともなるクリムトと知り合う。

1908年(明治41年)

最初の個展を開く。

1909年(明治42年)

C.グリーペンケールの保守的な教育に反発し、ウィーン美術学校を退学。
「新芸術家集団」(Neukunstgruppe)を結成し、ピスコ画廊で展覧会。

1910年(明治43年)

ウィーン工房がシーレのデザインによる絵葉書を3枚出版。

1912年(明治45年/大正元年)

ノイレングバッハで「不道徳」「未成年者誘拐」の容疑で24日間の投獄生活をおくる。

1913年(大正2年)

ミュンヘン、シュトゥットガルト、ベルリンなどで個展。分離派展にも参加。

1914年(大正3年)

ウィーンのアルノット画廊で個展。自画像を数多く制作。

1915年(大正4年)

オーストリア=ハンガリー軍に入隊。
エーディト・ハルムスと結婚。

1916年(大正5年)

ベルリン分離派展に「死と少女」などを出品。

1917年(大正6年)

作品制作を再開。

1918年(大正7年)

第49回ウィーン分離派展に参加。 シーレの作品がメイン・ホールを飾り、50点以上の新作を一挙に公開。はじめての大成功をおさめる。

10月31日(木)、スペイン風邪により、ウィーンで歿。

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