アンドリュー・ワイエス
アンドリュー・ワイエスは、20世紀のアメリカの画家。 アメリカン・リアリズムの代表的画家であり、アメリカの国民的画家といえる。人々の日常を、克明に神々しいまでに美しく描きました。彼の魔術的ともいわれる技法は、対象を丹念に観察し、一旦記憶の奥に閉じこめ、それを引き出して心に残るものだけを描くことから生まれます。子供のような純粋なエモーションに導かれ、魂を込めて描かれた作品は生き生きとして見る人々の心に深く響きます。また、詩情あふれる画風は日本でも大変人気がある。画家の人生と業績を讃えメイン州の州知事は7月12日のワイエスの誕生日を「Wyeth Day」にすることを決定しました。
ただいま、アンドリュー・ワイエス作品の在庫はございません。
何卒ご容赦ください。
アンドリュー・ワイエスのデータ
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1917年(大正6年) 7月12日(木)
- 歿日
- 2009年(平成21年) 1月16日(金)
- 勲章
- National Medal of Arts
- 大統領自由勲章
- ニューウェル・コンヴァース・ワイエス
- 公式サイト
- Andrew Wyeth
- メイン・テーマ
- 写実
アンドリュー・ワイエスの略歴
- 1917年(大正6年)
7月12日(木)、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれる。
- 1923年(大正12年)
小学校に入学するも、神経衰弱になり2週間で退学。
- 1926年(大正15年/昭和元年)
水彩画を描くようになる。
- 1932年(昭和7年)
父のアトリエで働き始める。
農場を営むカーナー夫妻、カールとアンナをモデルに描くようになる。- 1937年(昭和12年)
ニューヨークで個展を開催し、作品は完売する。
- 1938年(昭和13年)
義兄よりテンペラ画を習う。
- 1939年(昭和14年)
第二次大戦で入隊を志願するが、身体が弱かったために不許可になった。
- 1940年(昭和15年)
ベッツィ・マール・ジェイムズと結婚。
妻に紹介されたモデル、オルソン姉弟を描き始める。
- 1945年(昭和20年)
父 N.C.ワイエスと3歳の甥が乗った車が列車と衝突事故を起こし、二人とも死亡。
- 1946年(昭和21年)
次男ジェイムズが誕生。彼も祖父や父と同じく、画家となった。
- 1950年(昭和25年)
結核の為、片肺切除する手術を受ける。
- 1954年(昭和29年)
コルビー・カレッジから名誉博士号を授与される。以降、数多くの賞を受ける。
- 1963年(昭和38年)
大統領自由勲章を、同年に全米芸術賞をそれぞれ受章、受賞している。
- 1965年(昭和40年)
父と次男と親子三代の展覧会を開催。後にワイエス家の展覧会は度々開催された
- 1967年(昭和42年)
クリスマス・イヴにオルソン姉弟の弟アルヴァロが死去。
- 1968年(昭和43年)
アルヴァロを追うようにクリスティーナ・オルソンが死去。
彼女は200点以上もの作品のモデルになった。- 1971年(昭和46年)
チャッズ・フォードでドイツ系女性ヘルガ・テストーフを描き始める。
- 1985年(昭和60年)
<ヘルガ・シリーズ>が初めて雑誌に掲載され、存在が知られるようになった。
- 1995年(平成7年)
オルソン・ハウスが文化財史跡に登録される。
- 2007年(平成19年)
ブッシュ大統領より、芸術勲章「National Medal of Arts」を授与
- 2009年(平成21年)
1月16日(金)、ペンシルベニア州のチャッズ・フォードにある自宅で死去した。91歳。