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篠田桃紅は、書家として出発しながらも、戦後いち早く「文字」から解放された墨の表現を切り拓いた、日本を代表する抽象作家です。1956年に単身ニューヨークへ渡り、欧米の抽象表現主義と共鳴しながらも、日本の筆と墨が持つ精神性を失うことなく独自の世界を築きました。帰国後は壁画や襖絵、版画、随筆など幅広い分野で活躍し、晩年まで創作を続けています。 本作「Green」は、桃紅ならではの簡潔な構成の中に、豊かな時間の流れを感じさせるリトグラフです。重なり合う墨の面は、岩や雲、水面といった具体的な形を示すことなく、見る人の記憶や感情によって自由に風景へと変化します。にじみやかすれは偶然性を受け入れながらも緻密に統御され、一枚の画面に静けさと緊張感が絶妙な均衡で息づいています。 画面を斜めに貫く金色の鋭い線は、沈黙する墨の世界に一瞬の閃光のような生命感をもたらします。そして題名にもなっている「Green」は、右下に添えられた淡い緑青色の小さな色面によって静かに示されます。その控えめな彩りは自然を直接描くのではなく、芽吹きや再生、希望といった気配そのものを象徴しているかのようです。 桃紅は「形ではなく、心に生まれるものを描きたい」と語りました。本作もまた、何かを説明する絵ではなく、余白の中で鑑賞者それぞれの内面と響き合う作品です。墨の深い黒、紙の静かな白、そして一筋の金と淡い緑が織り成す詩的な調和は、時代を超えてなお新鮮な美しさを湛えています。