母子像






1933年に描かれた「メキシコの母子」の習作です。パリ市からの莫大な額の税金の催促や世界恐慌の影響で作品が高値で売れなくなったことを受け、藤田は1931年10月から当時の恋人であるマドレーヌ・ルクーを伴って中南米での旅をはじめました。ブラジルから始まりキューバを経て1932年の11月下旬にメキシコに到着した藤田は、7ヶ月の滞在期間中に現地の人々を描いた水彩作品を多く残しています。本作は、1934年に日本に帰国した藤田が東京で初めて開いた日動画廊での個展の際に展示された作品となり、額裏には日動画廊のシールが貼られています。