アルフォンス・マリア・ミュシャ Alfons Maria Mucha

チェコ 1860年 〜 1939年

絵画・版画高価買取

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アール・ヌーヴォー様式を代表するグラフィックデザイナー。宗教的思想に裏付けられた文学的解釈、それを美へと昇華する芸術力。挿画本分野において、ミュシャは独自の、そして輝かしい業績を残している。世界的にも、1960年代以降のアール・ヌーヴォー再評価とともに、改めて高い評価を受けている。


性別
男性
誕生日
1860年7月24日(火)
歿日
1939年7月14日(土)
受章
レジオン・ドヌール勲章
主な所蔵美術館
Mucha meseum
堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館
出来事
1860年

7月24日、チェコ東部モラビア地方南部の寒村イヴァンチツェに生まれる。

1871年

聖ペテロ教会の聖歌隊員となり、その奨学金でブルノの中学に通う。

1873年

雑誌「モテツト」の表紙を描く。

1874年

声変わりにより聖歌隊を退団。そのため奨学金も打ち切られ中学を除籍となる。イヴァンチツェに戻り、父の手引きで裁判所の書記の仕事につく。

1879年

プラハ芸術アカデミーの入試に落ち、舞台装置や緞帳を作っているカウツキー・ブリオシ・ブルクハルト工房の求職に応じウィーンに移る。

1882年

リング劇場の焼失で職を失い、ウィーンを去りミクロフ(チェコ)に移る。

1883年

クーエン・ベラン伯爵と出会い、フレスコ画制作の依頼を受ける。以降、伯爵と弟のエゴン伯爵の援助を受けるようになる。

1884年

クーエン伯爵の援助を受けて、ミュンヘンの美術アカデミーに入学。

1888年

パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。

1889年

アカデミー・コラロシュに学ぶが、クーエン伯爵の自殺により援助を打ち切られる。

1891年

ゴーギャンやストリンドペリと出会う。

雑誌の挿絵を描く。

1892年

セニボス著「ドイツの歴史」の挿絵を担当。

1894年

偶然の出会いにより、サラ・ベルナール主演の恋愛劇「ジスモンダ」のポスターを制作。大変な好評を博し、一躍時代の寵児となる。

1895年

サラ・ベルナールと6年間のポスター契約を結ぶ。

1896年

サロン・デ・サン展のポスターを描き、ロートレックらと共に出品。

1897年

サロン・デ・サンにて個展。

ラ・ブルユム誌ミュシャを特集。

1900年

パリ万国博覧会が開催、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。

1901年

レジオン・ドヌール勲章を受章。

装飾資料集を刊行。

1904年

アメリカに招かれる。ニューヨーク、シカゴ、ボストンを訪れる。

1906年

プラハにてマリア・シティロヴァと婚礼を挙げ、アメリカに渡る。

1909年

長女ヤロスラヴァ誕生。

1910年

祖国に戻りプラハに居を構える。

スラヴ民族の歴史を綴った連作「スラブ叙事詩」の制作を開始。

1915年

長男イージー誕生。

1918年

新貨幣や切手のデザインを担当。

1928年

「スラブ叙事詩」が完成し、プラハ市に寄贈する。

1931年

聖ヴィタ大聖堂(プラハ)のステンド・グラス制作。

1936年

パリの印象派美術館でミュシャ展開催。

1939年

7月14日、プラハにて逝去。享年79歳。

最終更新 2014年04月09日