竹内栖鳳のプロフィール

生年
1864年~1942年
出身地
日本・京都府
ジャンル
日本画
代表作
班猫
平家驚禽声逃亡
秋興
雨霽
薫風稚雀・寒汀白鷺
群鵜
大獅子図

本名恒吉。
はじめ棲鳳と号したが、渡欧後に栖鳳と改号。
近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する大家。 また、後進の育成にも力を入れ、上村松園や西山翠嶂をはじめ多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くした。
帝室技芸員。
第1回文化勲章受章者。

作品一覧はこちら→

竹内栖鳳作品を探しております。

作品のご売却を検討されているお客様はご相談ください。

略歴

最終更新:2009年10月20日

1864年
12月20日(旧暦11月22日)京都御池通油小路の料亭「亀政」の子として生まれる。
1877年
町絵師、土田英林(四条派)に絵を習う。
1881年
幸野楳嶺の私塾に正式に入門、四条派を学ぶ。
棲鳳の号を受ける。
1882年
私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」の筆頭と呼ばれる。
第1回内国絵画共進会で「雁に双鶴」「瀑布」が入選。
1884年
フェノロサと会う。
第2回内国絵画共進会で「山水」「花鳥」が褒状を受ける。
京都府画学校(現京都市立芸術大学)北宗画科入学。
1886年
京都青年絵画研究会結成。
第1回展で「藤原遁世」が2等賞を受賞。
1887年
京都府画学校北宗画科修了。
絵師として独立。
1889年
京都府画学校に出仕。
1890年
第3回内国勧業博覧会展で「枯木寒鴉図」が褒状を受ける。
1891年
京都青年作家懇親倶楽部を結成。
京都私立日本絵画共進会で「秋渓遊鹿」が1等賞を受賞。
1892年
第21回京都博覧会で「猫児負喧」が3等賞を受賞。
1894年
如雲会委員となる。
1895年
京都市美術工芸学校教諭に赴任。
第4回内国勧業博覧会で「松間繊月」が3等賞を受賞。
第4回日本青年絵画共進会展で「山村晩帰」が1等賞を受賞。
1896年
第1回日本絵画共進会展で「秋夕圖」が銅牌を受賞。
1897年
第1回全国絵画共進会展で「涼蔭放牧」が2等賞を受賞。
第2回日本絵画共進会展で「廢園春色」が銀牌を受賞。
第3回日本絵画共進会展で「枯野狐」が銅牌を、「鯉魚」が1等褒状を受ける。
1898年
前期日本美術院の展覧会に出品。
第5回日本絵画共進会展で「春雨・秋暮」が銅牌を受賞。
1899年
第7回日本絵画共進会展で「十ニケ月」が銀牌を受賞。
1990年
パリ万博に出品した「犬 雪中操雀」が銅牌を受賞。
渡欧。7ヶ月かけヨーロッパ各地を歴訪し、ターナーやコローなどから強い影響を受ける。
1901年
帰国。号を栖鳳と改める。
第7回新古美術品展に「獅子」を出品、1等を受賞。
1902年
第8回新古美術品展で「以太利ノ春」が1等賞を受賞。
第12回日本絵画共進会展で「古都の秋」が銀牌。
1907年
第1回文部省美術展覧会(文展)の審査委員に選出。同展に「雨霽」を出品。
1909年
京都市立絵画専門学校開校し、専任教諭となる。
1913年
12月、帝室技芸員に推挙。
1917年
京都市立絵画専門学校教授となる。
1918年
国画創作協会顧問となる。
1919年
帝国美術院会員になる。
1920年
中国旅行。
1921年
中国旅行。
1924年
「班猫」制作。
京都市立絵画専門学校教授を辞す。
1925年
11月、勲五等瑞宝章を受章。
1929年
シュバリエ・レジョン・ド・ヌール勲章を受章。
1930年
オフィシエ・レジョン・ド・ヌール勲章を受章。
1931年
ハンガリー最高美術賞を受賞。
1933年
ゲーテ名誉賞を受賞。
大礼記念京都美術館評議委員になる。
1936年
京都市美術教育顧問になる。
1937年
新設された第1回文化勲章を受章。
1939年
大礼記念京都美術館顧問になる。
1942年
8月23日、湯河原の別荘で逝去。享年78歳。