靉光のプロフィール

生年
1907年~1946年
出身地
日本・広島県
ジャンル
洋画家
よく描かれるテーマ
シュールレアリズム風や宋元画風など特異な画風

 

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略歴

最終更新:2009年10月19日

1907年
広島県山県郡壬生町(現・北広島町)に農家の二男として生まれる。
1913年
伯父の養子となり広島市鉄砲町へ転居。
1922年
 高等小学校卒業後、印刷所に奉公し製版技術を習う。
1924年
大阪に出て天彩画塾に学び画家を志す。このころから靉川光郎(あいかわ みつろう)と名乗る。靉光とは、これを略したもの。
1925年
17歳で上京、谷中へ居住し太平洋画会研究所に学んだ。フランス近代絵画の影響を受け、作風がめまぐるしく変化した。
1926年
二科展に初入選。以降「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で、独自の画風を追求。。
1930年頃から画風が変化し、次第に前衛的作品が増える。二科展他、中央美術展、独立展などに出品し多くの賞を得た。
1936年
第6回独立美術展に『ライオン』を発表。2年間ライオンの連作を制作した。
1938年
第8回独立美術展へ代表作となる『眼のある風景』を出品し、独立美術協会賞を受賞。画風が次第にシュールレアリズムに傾く一方、宋元画の影響も現れる。
1939年
福沢一郎ら40名のシュルレアリスム運動家と共に美術文化協会を設立。
1943年
「新人画会」の結成に参加し主要メンバーとして活躍。同年から翌年にかけて3作の自画像を製作(『自画像』、『梢のある自画像』、『白衣の自画像』)。
1944年
『白衣の自画像』完成直後に応召し大陸へ渡る。兄への手紙では「ようやく戦時下の男になれそうです」と召集時の心境を綴っている。満州では南京、武漢方面へ転戦したとされる。 。
1945年
8月6日、広島に原爆が投下され、故郷へ残してきた作品、資料の多くが焼失。8月15日、中国で終戦を迎える。
1946年
中国上海郊外でマラリアとアメーバ赤痢により病死した。享年39。遺族の元には遺品の飯盒だけが友人から送られた。